ベルリンに音大が2つある理由!ハンスアイスラーとUdKの違いは?
ドイツの首都ベルリン。
賑やかで活気に溢れてて
自由でモダンな街。
クラシック音楽を志す者にとっても
国立歌劇場
コーミシェオーパー
ベルリンフィル
コンツェルトハウス・ベルリン
と世界最高峰のオペラ座や
コンサートホールが
4つもあって贅沢すぎる環境。
あれ?
だけど、
ふと不思議に思うのは
「なんで、同じ街に
最高峰の国立音楽大学が
2つもあるの?」
ということです。
ひとつは
ハンス・アイスラー音楽大学。
もうひとつは
ベルリン芸術大学(UdK)。
日本でいえば、
上野と目黒あたりに
「東京藝大」が
2つ存在しているようなものです。
世界的に見ても極めて異例な
この「共存」の裏には、
ベルリンという街が歩んできた
激動の歴史が隠されているんですよね。
歴史に詳しい人なら
もちろん知ってると思いますが。
今日は、現地で30年以上
音楽に携わってきた私から
2校のルーツの違い
そして
「今、選ぶならどっち?」
などということについても
お話しします。
目次
すべては「ベルリンの壁」のせい!?

引用元: miz.org
2つの音大が共存している理由は、
かつてこの街を
真っ二つに分断していた
「ベルリンの壁」
にあるんですよね。
そうです。
昔々、第二次世界大戦に負けた
ナチス・ドイツは、
ベルリンの街を
「西」と「東」に
真っ二つに
分断されました。
西ベルリンは、
アメリカ、イギリス、フランスに
統治され、西ドイツの一部となり、
東ベルリンは、 ソ連に統治され、
東ドイツの首都となりました。
西側は「自由主義(資本主義)」
東側は「社会主義」 という、
別のシステムの国に
なっちゃったんですよね。
「そんなの歴史の授業で習ったよ」
と覚えてたあなたはすごいです。
だって、驚くことに、
今のドイツ人、特に若者の中で、
「なんでベルリンには
2つも国立音大があるの?」
と、唐突に聞かれて
即答できる人は
あまりいないからです。
東ドイツは
社会主義国になってから
西に対抗して東ベルリンに
新しい音楽大学を設立しました。
それが、
ハンス・アイスラー音楽大学。
ベルリン芸術大学(UdK)は
第2次世界大戦前からある
歴史の長いベルリンの芸術大学です。
一つの街が
2つの対立し合う国になってしまった
悲しい歴史を乗り越えて
東西統一が実現。
私のような側から見たら
「素晴らしいハッピーエンド」
であるかのように見えたのですが、
統一後も、
西ベルリンと
東ベルリンの住民は
かなり長い間
陰でお互いを
「オシー」(東の人)
「ヴェシー」(西の人)
と(皮肉を込めて)
呼び合っていて、
ずいぶん長い間、
確執が残っていました。
でも、東西統一から、
また30年以上も経って
若い世代はもう
そんなこと知らないんですね。
(良かった。)
とにかくこの歴史的背景は
今だに少なからず
現在の2つの音大のカラーに
残っています。
ごく個人的な意見ですが、
ハンスアイスラーには、
東の官僚主義っぽいところが
まだどこか残ってるし
ベルリン芸術大学は
自由な
(言い換えれば「結構良い加減な」)
校風を持ち続けている。
唯一同じところは
どちらの大学もひどい財政難に
陥っていることでしょう。
プロイセンの誇りを受け継ぐ「西」のUdK(ベルリン芸術大学)

UdK(ベルリン芸術大学)は、
東西の壁ができた時、
どうせ西ベルリン側にあったので、
西ベルリンの音楽大学として、
そのまま存続しました。
ベルリン芸術大学の歴史は
非常に古くて、
プロイセン王国時代にまで
遡るのだそうです。
あのブラームスや、
伝説的なヴァイオリニストのヨアヒムなど、
音楽辞典に載っている偉人たちが
創設や運営に関わってきた、
超名門中の名門です。
UdKの最大の特徴は、
音楽だけでなく、
美術、デザイン、舞台芸術、教員養成課程が集まった
「芸術の総合デパート」
であること。
キャンパスは西側の中心地
「ツォー駅(動物園駅)」のすぐ近くにあって、
近くには高級ショッピング通り
クアフュルステンダムもあります。
でも、壁があった45年間、
UdKはちょっと特殊な状況だったんです。
なんせ、当時の西ベルリンは、
東ドイツの中にポツンと取り残された
「陸の孤島」。
今では、財政難という違う理由から
良い先生を確保することが
難しい状況らしいですが、
当時は、違う理由で
やはり先生たちは
西ベルリンに
来たがらなかったそうです。
「わざわざ不便な
ベルリンまで行きたくないよ……」
と敬遠されがちだったそうです。
今のように人気が一気に
バクハツしたのは、
実は東西が統一されてからの
ことなんです!
詳しくはこちらをどうぞ⇩
東ドイツが威信をかけて設立した「ハンス・アイスラー」

一方、東ベルリン側が
1950年に創設したのが、
ハンス・アイスラー音楽大学です。
当時の東ドイツ政府は、
「西のUdKに負けてたまるか!」
と猛烈な対抗心を燃やしていました。
今思えば、同じドイツ人なのに、
不毛っていうか、
悲しいことですよね。
東側には、
ベルリン・シュターツカペレ
(ベルリン国立歌劇場管弦楽団)など、
世界最高峰の楽団がすでに存在していました。
そのトップ奏者たちが、
国家の英才教育を徹底的に
叩き込んだのがこの学校のルーツです。
UdKが「巨大な芸術大学」なら、
ハンス・アイスラーは
「音楽特化の少数精鋭工房」。
演奏テクニックの
「平均値」でいえば、
かつては西のUdKよりも
東のハンス・アイスラーの方が
高かったと言われています。
それほど教育が
ストイックだったのです。
ただし、そこには社会主義国ならではの
影もありました。
「自由のない国で、
常に国家保安省(シュタージ)の
監視に怯えながら、
本当の意味で豊かな音楽が
生まれていたのか?」
と聞かれたら、
答えは「ノー」でしょう。
実際、当時東ドイツの中で
上に登り詰めるには
国家保安省(シュタージ)の
一員になるか、せめて
共産党の一員になるかしないと
難しかったそうです。
第4章:なぜ統一後も「1つ」にならなかったのか?

ベルリン大聖堂からの景色
1990年、ドイツは再統一されました。
「街が1つになったなら、音大も1つでいいじゃないか」
という統合案は、当然のように出されました。
しかし、2つの大学には
それぞれ長年培ってきた独自の伝統と、
優秀な教授陣、そして何より世界中から
集まった学生たちがいました。
激しい議論の末、
「多様な教育の場を維持する」
という名目で、2校とも
存続することが決まったのです。
元西ベルリン市民と、
元東ベルリン市民との
モラル上の対立も
両方を存続させることにした
要因の一つであるかもしれません。
お互いが、
「自分たちの方が優れている」
と主張して、静かな対立が
何十年も続いてましたから。
やっと最近になって
「オシー」(東の人)
「ヴェシー」(西の人)
と相手を皮肉る言葉を
聞かずに済むようになってきて
私は本当にホッとしてます。
第5章:今、あなたが選ぶならどっち?
これから留学を目指すあなたは、どちらを受験すべきでしょうか。 現地での評判をもとに、ざっくり比較してみましょう。
【UdK(ベルリン芸術大学)】:自由と華やかさ
- 雰囲気: 開放的で自由。伝統を重んじつつも、現代音楽や新しい芸術への挑戦に積極的。結構良い加減なところがある。
- メリット: 他の芸術ジャンル(美術やデザイン)の学生と交流でき、視野が広がる。
- 場所: 西側の中心地。ベルリン・フィルハーモニーにも近く、常に音楽の最先端に触れられる。
【ハンス・アイスラー】:実力主義とストイックさ
- 雰囲気: 非常にストイック。コンクール入賞を目指すような、バリバリの演奏家志望が多い。結構きっちりしすぎているところがある。
- メリット: 教授陣に現役の超一流オーケストラ奏者が多く、プロの現場に直結した学びができる。
- 場所: 東側の中心地、コンツェルトハウスのすぐ裏。歴史的な重みを感じるエリア。
入試の壁は「ベルリンの壁」より高い!?
結局のところ、どちらの大学が良いかは
「どの先生に習いたいか」
という一点に尽きます。
両校の難易度は現在ではほとんどなく、
どちらも超難関校であることに
変わりはありません。
今のベルリンには、
かつての壁はありません。
UdKの学生と
ハンス・アイスラーの学生が
一緒にアンサンブルを
したりするのも
日常の光景です。
でも、入試の倍率という「壁」だけは、
かつてのベルリンの壁以上に
高くそびえ立っています(笑)。
この高い壁を乗り越えようとするあなたを、
私はベルリンの地から応援しています。
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