音楽留学を親に反対されたら?説得して味方にする3ステップ
皆さんこんにちは。
今回は、 「海外音楽留学の3つの壁と、
それを乗り越えて世界へ羽ばたく方法 」
の第2回目として、
2つ目の壁「親・親族」
についてお話しさせていただきます。
私は、昭和の時代に日本の田舎に
生まれ育って、割と早い頃から
音楽家になりたいと漠然と思っていました。
素晴らしい音楽に出会い
鳥肌が立つほど感動するたびに
その思いはますます強くなりました。
でも、日本の田舎の30年前は
グローバル化なんてまだ
始まってもいない、本当に
何もないところでした。
前回の「お金の壁」でお話ししましたが
高校2年生の時に
「大学はドイツかオーストリアに音楽留学させてください!」
という頼みも
「それがダメなら、せめて東京の音大に行かせてください」
という頼みも
「そんな金はない」
と秒で却下されました。
それでもあきらめずに頼み続けたところ、
「東京の音大なんか行ってもお金かかるだけで意味がない。地元の教育学部に入って、とにかく教員の資格を取って、その後どうしても音楽留学したいなら、行ってもいい」
と言われたので、その言葉を信じて
4年間我慢しましたが、いざ大学を
卒業する時期になったら、母は、私に
「そんな金はない!そんな約束した覚えはない」
とまた言ったのです。
母は、4年前に、確かに
「国立音大を出てまだ留学したかったら行かせてやる」
と言いました。当時何度も念を押して確認しましたから。
そういう大事な約束を、後になって
破るというのは、母と子の信頼関係を
揺るがします。
それでもグレなかった自分を
今は褒めてやりたいです。
「もう母の言うことは信じられない。
自分で自分の道を切り開くしか無いんだ。」
というわけで、
「教員免許を取ったら留学していい」
という約束を母に破られた私は、
いつか怒りも通り越え、静かになりました。
「もう親に頼るのはやめよう」
と決めたからです。
母の言ったことを信じて4年を無駄にした
自分がバカバカしくなって、私の中で
張り詰めた糸が切れて、開き直りの
境地に達したのでした。
大学を卒業しても
もちろん教員にはならず
地元の音楽教室で働き
実家暮らしをして稼いだお金は
全部貯金に回しました。
これも、前回チラッと話しましたが
就職もせず音楽教室の講師をしながら
留学のためにお金をコツコツと
貯めている私を見て、母は、なるべく
お金が貯まらないようにと考えたのか
「稼いだお金を全部貯めようなんて、
調子良すぎるよ。月に3万円家に入れなさい!」
と言い、私から生活費を徴収しました。
そればかりではなく、ことあるごとに
「留学なんてバカなこと言ってないでちゃんと就職しなさい!」
などと私に怒鳴りつけました。
母親が全力で阻みにきたので、そんな母と
同じ屋根の下で暮らし続けるのはとても
居心地が悪かったです。
実は、落ち込む時も時々あり
「全てを投げ出して家を出よっかなー」
と一瞬思ったりもしましたが
音楽留学したい気持ちの方が
強かったので
「自分の人生、これ以上無駄にできない」
と思い、頭を切り替えました。
目次
猛反対されても「自分で稼いで行く」と決意した日

そのうち、明治生まれの厳格な祖父まで
うちに来て
「いつまでもわがまま言ってんじゃない!
ヨーロッパに留学なんて、絶対に俺が許さんぞ!
馬鹿なこと言ってないでちゃんと就職しろ!」
と私に怒鳴りつけました。
「お前の妹も、従兄弟も、誰も
そんなこと言わないのに、何で
お前だけ留学したいとか言い出すんだ。」
とも言われました。
それまで大好きで尊敬していた
祖父だっただけに、怒鳴られて
悲しかったです。
祖父も母も、本気で、
「怒鳴って、叱ったら留学することを諦めるかも」
と思っていたのでしょうか。
今思えば不思議です。
でも、私はもうそれに反発する必要がなかったのです。
なぜかというと、もう誰にも頼らず
自分で稼いで自分の力で留学しようと
決めたからです。
だから、怒鳴られても、言い返さないで
静かにその場を立ち去りました。
怒鳴る人は、怒鳴ることで相手を黙らせて
自分に服従させようとする人なので
そういう人には、何も言い返さなくていいと思いました。
私が子供のころは、母や祖父に
怒鳴られたら、怖くて言うことを
聞いていました。
でも、一応成人した大人なのに、
自分の人生の選択のことで
怒鳴って押さえつけられるのは
違うと思いました。
私の人生は、私が、私の責任で
納得いくように生きるべきなので。
だいたい、小さい子供に怒鳴ることで
服従させるのも、絶対に間違っていると
今ならはっきりわかりますが。
母親と祖父に全力で反対されたこと。
怒鳴られて怒られたこと。
今思うと、これが私にとっては
- お金
- 親の反対
- 落ちこぼれ
という音楽留学を叶えるまでの
三重苦の中で、1番大きな壁でした。
精神的にきつかったです。
今なら、あの時の母は100%
間違っていたと、わかりますが、
あの時は、周りに
「わがままもいい加減にしろ」 と
「わがままな人」扱いされていたので
自分が正しいことをしているという
自信が全然なく、むしろ、親不孝を
しているような感じでした。
母は私が小さい頃からいつも、
私が何かを試す前から
「できるわけないでしょ。やめときなさい。」
と決めつけていました。
妹が
「バレリーナになりたい」
と言った時も、同じでした。
妹はバレエすらやらせてもらえませんでした。
母は自分の言ったことは何年か経つと
全く覚えていませんが、言われた方は忘れません。
そんな母の考えの狭さと、
相手を思いやらず、ずけずけと
傷つくことを言ってくるところが
本当に嫌でした。
とにかく、あまりにも母と祖父が、
「無理」 「わがまま」 「諦めろ」
というので、日に日に
「早くこの家からほんとに抜け出して、
早くヨーロッパに飛び出したい」
という思いが次第にマックスになりました。
そんな中、1つの救いは、父が、
ある日晩酌中に、こっそり
「頑張れ、お前がもうちょっと
お金貯めたら、俺のへそくり200万
貯まってるからそれも出してやるわ」
と言ってくれたことでした。
「へそくり?どうやって貯めたん?」
と思いましたが、励みになりました。
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前回の記事でお話ししましたが、結局
祖父が、突然留学することを認めて、
お金を出してくれることになったのでしたが
それ以降も
「あの子は自分の望みを押し通そうとするワガママな子」
というレッテルを、親族や近所の人から貼られたままでした。
ことあるごとに、そういうことを本人の前でも言う親族やご近所さんが不思議でした。
ヨーロッパに住んでいたら
他人にそこまで言う人はいないので
日本の実家に帰省する度に
「やっぱり私はこの田舎には住めないわ」
と実感していました。
自分がやりたいことではなく
親が敷いたレールに乗るのは
親から怒られなくなるので
ある意味楽な人生になるのかもしれません。
でも本当の意味で楽な人生ではないですよね。
その人の心は、ある意味死んでしまうのですから。
「お金がない」の裏に隠された親の本音とは?
今思えば、両親は、私が小さい時から
「教員は最高な仕事だ!」
と、自分の価値観を子供に押し付けていました。
私は「いや、学校の先生にだけはなりたくないわ」と思っていました。
それでも
「教員免許を取ったら留学してもいい」
と母に言われたから4年間我慢したのに
まさかそれが忘れられていた(又は忘れたフリをされた)とは思いませんでした。
母は、自分の理想を押し付けたいがために
私が高2の時も大学4年生の時も2回とも
「お金がないから留学の資金は出せない」
と言いました。
「お金がない」
というのは結局は嘘だったということは、後でわかりました。
というのも、後にウィーン国立音楽大学に
合格したら、突然母の態度が変わって
毎月仕送りが送金されるようになったからです。
だから、お金がなかったのではなく、正確には
「自分の娘を絶対に海外に出したくない!」
だったのです。
私はそのせいで、自分の人生を
7年以上無駄にしたと思っています。
それだけ聞くと、なんて性格の悪い
母親なんだと思うかもしれませんが
あの頃母は、 なんとか海外に行く夢を
諦めさせて地元で教員をさせようと
必死だったのでしょう。
前述の通り、両親は中学校教師。
それも、教師という職業に、心から
誇りとやりがいを持っている人たちでした。
(そういう意味では尊敬します)
だからこそ、自分たちの理想だと思う
職業に、娘がつくことが、娘の1番の
幸せだと思ってたようです。
両親の理想は、私が教員になって
安定した人生を送ることでした。
なんせ、両親の両親も教員でしたので、先祖代々教員一家だったのです。
でもよくよく考えると、
地元の国立大学とはいっても
実家からは120キロメートル以上
離れていたので、アパート暮らし。
つまり親は毎月私に仕送りをしていました。
そりゃあ、東京の私立の音大に通わせる
よりは学費や生活費は安いですが
それでも半分以下というわけではありません。
実際、家賃が3万円だったのに、親は
月に12万円も仕送りしてきました。
「こんなに送ってくれるんだったら
全然東京の音大に行けたじゃん!」
と私は正直思いました。
だから、やっぱりお金がないというのは
本当の反対する理由だったわけではなく
「地元の国立大の教育学部を卒業させる」
それが親が、長女の将来に描く理想
だったため、その理想の道を進んで
欲しかったのでしょう。
私の母親は多分、本気で、
「娘が教員になったら人のためになるし、経済的にも安定するし、社会保障もしっかりしているので、娘は幸せになる」
と、思っていたのです。
警察官僚の息子も、警察官になるのが
当たり前とか、そんな時代だったのですね。
でも私は、教員になるのが心底嫌でした。
ずっと音楽を追い続けたかったからです。
今思えば、母にとっての
もう1つの大きな不安材料は
「大事な娘が自分の知らない地球の
反対側に行って、犯罪に巻き込まれて
殺されたりしたら大変」
ということでした。
でも当時若かった私は、そんな母の
心配など知る由もなく、楽しい
音楽留学生活しか思い描いていませんでした。
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というわけで、自分も母になってから
母の気持ちになって、母の心境を
分析してみると、あの数々の妨害は
母の娘を思うがゆえの行動だったのだろうなー、というところが見えてきます。
今では、そんな試練を与えてくれた母に
感謝する気持ちもちょっとありますが
私も親になってはっきりわかったことは
こと留学を思いっきり阻止してきたこと
に関しては 「母のやり方は間違っていた」 ということです。
そして、もし、あの母親の
無駄な抵抗がなかったら
もっと早く私のやりたいことに
理解を示してくれていたら
私の見る景色は、確実に違ったものに
なっていたということです。
私は、今だに母がなぜか怖くて
あれから30年経っても
「何であの時、嘘ついて私を困らせたの?
結局留学する時期が遅くなっただけだったじゃん」
とは言えてません。
プライドの高い人で、時々些細なことでブチ切れるので、それが怖いからです。
そしてそんな母も、今では衰えてきて、介護が必要なほど弱ってしまったからです。
まあ、親子関係って、そんなものなのでしょう。
親の言う通りに生きることが正しい親孝行ではない
私の今回言いたいことの1つ目は、ここからです。
どんなに母を正当化しようと試みて
母の気持ちになって考えてみて
ある部分ではその時の母の心境が
理解できる年になったからといって
「子どもの将来を、親が操作しようとするのは、100%間違っている」
「子どものやりたいことを、親が辞めめさせるのは、100%間違っている」
ということです!
あの時、私が、どんなに母や祖父に
怒鳴られても諦めずに、毎日せっせと
働いてお金を貯めたことは、結果的には
母のためにも大事なことだったのです。
なぜかというと
ウィーン音大に受かったり
在学時代に国際コンクールに入賞した時に
母は、とても喜んでいたからです。
ドイツに長年住んで、その気持ちは
もっと確固としたものになりました。
それは日本がダメとかそう意味では
もちろんありません。
ドイツに住んでいたって
腹の立つ事はたくさんあるし
毎年長期休暇に日本に帰るのは楽しみです。
やっぱり私は日本人だと実感します。
そうではなく、欧米の人々は
良くも悪くも個人主義なので
「自分の人生は自分で決める」
ということが当たり前すぎるくらい
当たり前だからです。
もし、これから留学をしたいけど親や親族から反対されている人がいたとしたら、言いたいことは
「何が親不孝になるかと言ったら、それは親のいうことを聞いて、従順に『親の描くあなたの理想の人生』を歩むこと」
ということです。
親の描いた道を自分はやりたくないのに歩んでも、結局最後は誰のためにもならないからです。
親が自分の子供が、自分が最良だと思う道に進んで欲しいと思う理由は、多くの場合は親が子どもの幸せを望んでいるからでしょう。
「この道を選んだら私の子供はきっと幸せになれる」
と本気で確信しているからこそ
その道に進むことを強く進めるし
時には強制的にその方向に行かせようとします。
私の母がしたように。
でも、10年経って、20年経って
自分の子供が全く幸せそうじゃなかったら
例えば人生を諦めて
引きこもりになったり
極端な例で言うと犯罪者になって
しまったりしたら。
遅くともその時点で、子を愛する親は
必ず自分を責めてこう思うでしょう。
「あの時、子供が〇〇になりたいと言った時に、それを諦めさせないで、背中を押してやっていたら、もしかしてこの子は今幸せだったかな?」
普通の良心のある、子供を愛する親は
必ずそう自分に問いかけ、後悔する日が来るはずです。
でも、その時に後悔しても、その子の失った「時」は戻ってきません。
もちろん手遅れとは言いません。
せめて10年後でも、20年後でも
「あの時の私は間違っていた」
と言ってもらえたら、子供は救われて、せめてその時からでも前に進むことができます。
私の母は「ごめん」と言えない性格だったので、最後まで絶対に謝りませんでした
けど。
ただ、ウィーン国立音楽大学の入学試験に私が受かってから、毎月仕送りしてくれるようになったことが、多分、母なりの「ごめん」だったのだと思います。
自分の責任で選んだ道の先に広がる明るい世界
私の言いたい2つ目は、つまり
「もし親が過去に子どものやりたいことを許さなかったとしても、良心のある親なら、自分が100%正しかったと自信を持っているわけじゃない」
ということです。
自分がそうだから、親になってもっとよくわかりますが、親なんて、年取っているだけで、別に賢いわけでもないし、むしろ間違いだらけです。
だからこそ、自分のためにも、自分の親のためにも、あなたは、自分が心からやりたいと思うことに突き進んでください。
そのやりたいことの中に、音楽留学が含まれているのなら、ぜひ実現させてください。
その先に、パーっと開ける明るい世界がきっとあなたを待っていますから!
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私の理想の人生は
「自分が心から楽しいと思えることを追い続ける人生」
でした。
それができるなら貧乏でもいいと思っていました。
で、今になって考えると、自分が今心から幸せだと思える人生を送ることができているのは、若い頃に、自分で決めて、勇気を出してそっちの人生を選んだからだと思います。
とにかくやれるところまでやってみよう。
そう思ったのは大きかったですね。
まとめ:親を説得して味方にする3つのステップ
ここまで私の 暗黒の(笑) 過去をお話ししてきましたが、
親の猛反対を乗り越えて 音楽留学の夢を叶えるための ステップをまとめますね。
まずは
ステップ1 反論するのをやめて、自分で稼ぎ始める
怒鳴る親に言い返しても エネルギーの無駄遣いです。 黙々と働いて 留学資金を貯める行動を起こし、 本気度を形で見せましょう。
次は
ステップ2 親の反対の裏にある「本音」を分析する
親が反対する本当の理由は、 お金がないからではなく、 「自分の知らない世界で 娘が危ない目に遭うのが怖い」 という不安だったりします。 相手の心理を冷静に見抜くのが 実はとても大事です。
そして
ステップ3 自分の人生に責任を持つ覚悟を決める
親の敷いたレールではなく、 自分の責任で やりたい道へ突き進む。 あなたが音大に合格して 本当に幸せそうにしていれば、 頑固だった親の態度も 最後にはガラリと変わります。
親を説得するというのは、 言葉で論破することではありません。
あなたの「覚悟」と「行動」で、 最後には認めざるを得ない状況を 作っていくことなんです。
一度きりのあなたの人生、 親のために諦めるなんて 本当にもったいない!
勇気を出して、 一歩を踏み出してくださいね。
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