音楽留学の費用を突破!お金の壁を乗り越える方法とは?

こんにちは。

今回は、

「海外音楽留学の3つの壁と、
それを乗り越えて世界へ羽ばたく方法 」

のまず第1回目として、
1つ目の壁「お金」について
お話しさせていただきます。

海外音楽留学の大きな壁となりうる「お金」の壁

「いきなり『お金』なんて、
音楽家のくせに夢のないこと言うんですね。」

と思われるかもしれませんね。

でも残念ながら、最初にある程度の
まとまったお金がなければ、
音楽留学は非常に難しくなります。

お金がないことは確実に

「大きな壁」

となってしまうのです。

語学留学したいのなら、
ワーホリで現地入りしても、
仕事をしながら言葉を学ぶことは可能です。

頑張れば働きながらでも語学学校に通えます。

ですが、こと音楽留学となると、
専門の楽器などの練習時間が
確保できなくなるので

毎日仕事をするのは難しく、
ワーホリと音楽留学の掛け持ちには
無理があります。

つまり、ある程度のまとまったお金は
最初に必要だということです。

まあ、この記事を読んで
くださる方の中には

「うちの家庭はお金に困ってないから関係ないや」

と思われる方がいらっしゃるかもしれません。

そんなあなたは本当に
ラッキーな人です。

そんなラッキーなあなたも、
自分がどんなにラッキーかと
いうことを実感するために、

ぜひこのマインド講座を
最後までお読みください。

高2で留学を決意。親は秒で却下!

さて、ドイツ歌曲が大好きだった
私が、高校2年生の時に

「ドイツ語圏に留学しよう!」

と決意して、

「日本の大学に行かないで、ドイツか
オーストリアに音楽留学したい!」

と親に言ったとき、親はその申し出を
秒で却下しました。

「そんな金はない」

の一言でした。

ついでに

「かすみ食って生きてくこと
なんかできないんだ!」

と怒られました。

両親は、退職するまでずっと
40年近く中学校教師として働いていました。

「だからお金持ちでもないけど、
貧乏な家庭というわけではない」

と思っていたのですが、親に

「そんな金はない」

と言われた私は、心のどこかで

「教員ってそんなに安月給なのかなー?」

と思いながらも、

「それ嘘でしょ!じゃあ、給料明細見せて」

などとはとても言い出す
勇気はありませんでした。

第二次世界大戦を経験していた両親は、
高校生の私には、まだまだ厳格で怖い存在でした。

仕方ないので、

「じゃあ、せめて東京の音大に行かせて」

と言ったのですが、なんと、その願いすらも

「うちには、地元の国立大学に行かせるお金しかない」

と、却下されてしまったのです。

それはあまりにひどいと思い、
そこはしつこく何度も頼み込みましたが

「東京の大学に行かせるお金はない。
地元の国立大学にしてくれ」

の一点張り。

今の私なら、ネットで地方公務員の
給料を調べて、東京の音大の学費が

払えるかどうか、密かに計算したかもしれません。

でもその頃はそもそもインターネットが
ないので調べようがありませんでした。

「とにかく留学できないのなら、
せめて東京の音大に行かせて」

と、結構ねばって泣きつきましたが、ダメでした。

音大にも行かせてもらえず地元の国立大学へ

先生になりたくもないのに地元の
国立大学の教育学部に入ることは、
はっきり言って変です。

絶対に納得行きません。
だから諦めず頼み続けました。

すると、母は

「東京の音大なんか行っても
お金かかるだけで意味がないよ。

でも、ここの教育学部の音楽科に入って
教員の資格を取った後に、まだ音楽留学
したいなら、留学してもいい」

と突然言い出したのでした。

(父もその場にいましたが、
うちの家庭は母が家計を
取り仕切っていたので母が

「うん」

と言わないとお金は動きませんでした)

若い時の4年って、今思えばとても大きいです。

でもその時私は思ったのでした。

「そっか、4年間我慢すれば、
ヨーロッパ留学を許してもらえるのか!」

と未来が明るくなり、
言われた通り4年間教育学部に
行って大学4年生になりました。

ところが、そろそろ留学の準備を
進めようと、母に大学卒業後の
留学の話を持ち出すと、なんとまた

「そんな金はない!」

と突き放されたのです。

「なんで? 大学受験の時に、
国立大の教育学部を出たら
留学してもいいって言ってたじゃん」

と言い返すと、母の答えは

「そんな約束した覚えはないね」

その時は、一瞬本当に母が大嫌いになりました。

私もそこで引き下がりたくなかったので、
しばらく言い合いをして大喧嘩になりました。

でも、母は絶対に意見を曲げませんでした。

いつか私は母に頼むのを止めました。

ちょうど、あの頃はバブル時代だったので
教員になるのが嫌でも、大卒者にとっては
超売り手市場でした。

証券、保険、銀行、不動産など当時
隆盛だった金融業界の大企業へ

だれもが応募し簡単に採用され
高所得が約束されている時代だったからです。

でも、あの頃私の欲しかったものは
お金じゃなかったんですよね。

私は「音楽」の道を極めたかったので。

でも、音楽や芸術一般に全く
興味も理解もなかった母は、

「目に見えない『音楽』という
漠然としたものに一生捧げたいと
思う人間が、世の中に存在する」

ということがそもそも理解できなかったし、

「ましてや自分の娘もそういう
不思議な世界の人たちの1人」

ということは、もっと理解できないことだったようです。

で、私は本気でこう思いました。

「こうなったら、自分でお金を貯めて
5年経っても10年経ってもいいから
絶対にドイツかオーストリアに留学しよう!」

総合大学を卒業後お金をコツコツ貯めた

で、大学を卒業してから、
就職をせず
実家で午前中は練習して
午後は音楽教室の講師として
働きまくり、静かに
お金を貯めていきました。

30年前はオーストリアもドイツも
家賃が現在の何分の一の安さだったので

一年に200万円ほどあれば
贅沢しなければ留学生活は
成り立ちました。

だから、一年に200万円ずつ貯めて
3年後には、最低3年間の予定で
留学しようと計画を立てました。

もちろん、その間には

「私、本当にいつか留学できるのかなー」

と不安になったり、落ち込んだりもしました。

でも、そんな私にも、思い続け
努力を続ければ、突然いいことが
起こるということも体験しました。

母は、

なるべく留学資金がたまらないように策略を練って、

「社会人になったら家に
タダで住むなんて許さない。
月に3万円入れなさい」

と言ってきました。

当然のことと言ったら
当然のことですが

私が、稼いだお金を使わずに
頑張って留学資金を貯めていたことが
気に入らなかったことは明らかです。

その時は、また、

「留学のためのお金の援助を
拒否するだけでなく、私の
なけなしの講師代から月に
3万円も取るなんて!」

と抵抗しましたが、練習できる
アパートは家賃高いし
初期費用もかかるので

引越しする労力を考えたら
毎月3万円徴収されても
我慢して、実家暮らしを続け
お金を貯めようと思いました。

お金を貯め始めて半年くらい
経ってから、反対していた祖父が

「俺が出してやるからさっさと
留学して早く帰ってこい!」

と突然言い出しました。

全く予想していなかったので
びっくりしましたが、おかげで

私は、3年働いてお金を貯めようと
思っていたところを、一年貯める
だけで済んだのでした。

といっても、資金を貯めたりしているうちに、

「留学したい」

と決めた高2の時から、
7年以上の年月が
経っていました。

引き寄せの法則

祖父が突然

「金を出してやるからさっさとウィーンに行ってこい!」

と言い出したのは、たまたまラッキー
だったのではなく、今思えば私が
自分で引き寄せたのだと思います。

なんせ、私は、毎朝顔を洗った後に
鏡を見ながら自分に

「私は3年間お金を貯めて留学する」

と言ってましたから。

そういうのを
「引き寄せの法則」
と言うのだそうです。

私はそういうことは知りませんでしたが
ネガティブなことを延々と考えて
思い悩むよりは、一度やろうと
決めたことを、声に出して自分に
言い聞かせるって、なんとなく

自分の潜在意識に、ポジティブな効果を
与えだろうと無意識に思ってました。

多分、私がしつこく

「お金出してください。
早く留学したいんです。」

と頼み続けているうちは、親や親族は身構えて、

(いや、この子を絶対に海外に出してはいけない!)

としか考えず

「ダメだ!」

と突っぱねることしか
頭になかったと思います。

でも、私が

「焦らず自分で貯めて
お金が貯まったら留学して

あとの自分の人生
好きなように生きよう!」

「出してもらえないのなら
5年経っても10年経ってもいいから
自分で稼いだお金で留学すればいいや!」

という開き直り(?)とも言える境地に
達して、静かにお金を稼いで貯めるだけの

生活に切り替えて、何も
文句を言わなくなってから

母や、祖父の方は、逆に

「この子は、本当に5年後か10年後に
お金が貯まったら留学するつもりだ」

と、不安になったんだと思います。

私は、開き直ってから
すごく楽になって人生
楽しく明るくなってきて

夢に向かってワクワクしながら
自分のやることをコツコツこなして
いただけだったのですが。

とにかく、私に100万円が貯まったあたりから、

「やばい、この子は本気だ!」

と、家族の態度が変わってきました。

今まで海外留学に母以上に
大反対していた明治生まれの
厳格な祖父が突然、

「俺が留学資金出してやるから、早く留学行ってこい」

と、突然言い出したのは
本当に引き寄せの法則が働いて

毎日自己暗示をかけていたら
本当にお金を引き寄せたんだと
今は思っています。

大学卒業してから
もう文句は言わずに

「自力で留学する」

ということに焦点を当てて
せっせとお金を貯めて
自分の専門の練習や

ドイツ語の勉強だけに
集中した日々を送って
毎日鏡に向かって

「お金はきっと貯まる!
それまで頑張ろう!」

と言い聞かせていたことが
結果的には周りを動かしたのでした。

というわけで、今回は、私がどうやって

「お金が無い」

ことをクリアしたかを
お話しさせていただきました。

半分は自分で稼いで、
半分は「引き寄せの法則」が働いて
突然祖父が出してくれることになったわけです。

現地生活が長いと、いろんなことが
わかってきますので、今なら、7年も
待たなくても、もっと他の方法は
確実にあったと知っています。

「今の私だったら、30年前の私に
いろいろアドバイスできたので
留学が実現するまでに7年の歳月が
経つなんてことはなかったわー。」

とか

「もっと早く、7年若く留学できていたら
全く違う景色が見えていただろうな」

とかは思います。

例えば、現地の音大に受かって
学生ビザを取得することができれば
アルバイトも可能になります。

国立音大は
音大主催のコンサートの受付や
教授のアシスタントっぽいことなどの
事務仕事をする「学生バイト」の
オファーもしています。

そのほか、現地で自分の専門の楽器の
レッスンを始める人もいます。

プライベートの音楽教室や、運がいいと
州立の音楽学校に雇ってもらえる場合もあります。

日本人にとっては
自分がプライベートで現地の人に
レッスンをすることは、収入を得る
ことができると同時に、自分の
ドイツ語の向上にもつながるので
一石二鳥です。

先ほども少し触れましたが
資金がない場合に
ワーホリでドイツに来て

仕事をしながら語学を上達させ
その後に入試を受けて音大に入る

という方法も無いわけではありませんが

よっぽど意志が強くないと、続かないと思います。

そもそも、ピアノやバイオリンなど
1日の練習量が多い楽器が専門の人には

ワーホリなどでの働きながらの
音楽留学への準備には、時間的に
無理があります。

それよりは、日本でドイツ語の
A2-B1くらいまで取得した後に

飛行機代を工面して現地入りして
とにかくまずどこかの音大、または
普通の大学の学生になる、という
奥の手もあります。

正式な学生ビザを取得できれば、
バイトも可能だからです。

でも、自分にお金がなくても
親や親族の誰かに余裕がある場合は

頼み込んで親や親族に
出してもらうことが、結局は

親や親族のためにもなるのだ
ということに、私は、何十年も
経ってから、気付かされました。

なぜかというと、親や、祖父母は
子供や孫が幸せになることが、結局
1番嬉しいからです。

そして財産はどうせ子孫に受け継がれるからです。

また、狭き門かもしれませんが
奨学金もいくつかあります。

ま、とにかくこんな私の経験を
皆さんにシェアすることで、人生の
先輩として、勇気を出して留学への
一歩を踏み出してもらえたら嬉しいな
と思います。

私自身が留学を実現するまでに色々と
つまずいたり、悩んだり、失敗した事を
踏まえて、同じ回り道をしない様に

アドバイスすることができるという
意味では、私の自我流の音楽留学も
いい経験にはなりました。

だから今は、留学の実現までに
7年以上かかった事実も、感謝の
気持ちで受け入れています。

いろんな経験を経ているからこそ
留学をこれから目指す方々の夢を
最短距離で実現する1番賢い方法が
何かがわかるからです。

もちろん、何をやるにも
絶対ということはありませんし

留学には、常に予期せぬ
トラブルはつきものです。

でもせめて、最初から防げるトラブルは
防いであげたいというのが
私の思いです。

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