ウィーン国立音大に合格!ネットもツテもない5つの逆境を乗り越えた音楽留学記

もし、今日からネットがなくなったら
すごく困りませんか?

でも、「ネット」というものが存在しない
時代でも音楽留学した人はたくさんいました。

ネットがないから、メールも書けない。

誰も携帯も持っていない。

そんな時代であったからこそ
知り合いの「ツテ」がとても大事だったのですが
私にはそれもありませんでした。

ツテがない!先輩も先生もゼロ

MDW
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地方の総合大学を卒業した私。

ヨーロッパ留学した先輩も、
現地に知り合いがいる先生も、

本当に、ただの1人もいませんでした。

手がかりは、音楽雑誌で見つけた
オーストリアの教授の電話番号だけ。

「ここにかけるしかない…!」と
思い切って電話したのが始まりです。

その教授の夏期講習に誘われ、
仕事で貯めた大金を叩いて参加。

現地で片っ端から情報を集め、
翌年の「ウィーン・マイスタークルゼ」の
チラシを執念で見つけ出しました。

ネットがない!情報収集は足で

当時は携帯電話が出始めたばかり。

パソコンなんて誰も持っていません。

今思うと信じられないですが、
教材もノートもすべて手書き。

調べ物はすべて図書館へ行き、
本を開くまで何があるか分からない。

それも、どの図書館に、何があるのかを
事前にネットで調べることすらできません。

誰もコンピューターも携帯も
持っていない時代だったので。

そんな時代を、生き抜くのは
自分の「足」でした....

お金がない!熱意で動かした周囲

親は普通の公務員で、
留学は大反対。

もちろん資金はゼロからのスタートです。

地方の総合大学卒業後の1年間、
音楽教室で講師をして必死にお金を貯めました。

そのまま何年も資金が貯まるまで
お金を貯め続けようと本気で思っていました。

すると、頑固だった祖父が
私の熱意に根負けして、
ついに資金を出してくれることに…!

多分、昔の人だったので、
道瀬留学することを諦めないのなら

さっさと2、3年行って帰ってきて
普通に結婚して欲しかったのでしょう。

いつの時代も、諦めない姿勢は、
周りの心を動かすのですね。

語学力がない!受話器の向こうは恐怖

日本で数年ドイツ語を学んだところで、
現地のウィーン訛りには歯が立ちません。

最初の1年は、ほぼノリとコミュ力。

教授とのレッスンは、向こうが
外国人に慣れているので何とかなるものの

普通の生活するのには不便でした。
相手の言っていることが聞き取れなかったので。

一番の恐怖は「電話」でした。

顔が見えないと、もっと聞き取れない。

語学学校は最初の3ヶ月でやめ、
オペラ座の立ち見席、ラジオ、テレビを
浴びるように聴いて、 がむしゃらに
言葉を習得していきました。

住むところがない!悪徳大家とガチ喧嘩

夏期講習の2週間の間に、
現地でアパートを見つける計画でした。

しかしウィーンの住宅事情は超シビア。

一般向けの家具なし物件は、
キッチンを自分で工事する必要があったり
時間もコストもかかりすぎます。

学生向けの家具付き物件を探さないと
いけないのですが、なかなかないのです。

焦った私は、もうなんでもいいから、
半年しか契約できない家具付きアパートを
借りることに。

その人は、後から知ったのですが
評判の悪い 「悪徳大家」だったのでした。

案の定、半年後の退去時に敷金を
「返さない」と言い出してきたのです。

お金がない私は、泣き寝入りなんて絶対無理。

必死のドイツ語で大喧嘩の末、
文字通り、敷金をもぎ取りました。

オーストリア人とドイツ語で
喧嘩したのは生まれて初めて。

部屋を出た後、足がガタガタ震えました。

そしてまた、次の家探しが始まったのです。

まとめ

というわけで、私の憧れの音楽留学は、
最初から前途多難。

でも、なぜかその時々に、
どこからともなく助け舟が
現れたんですよね。