こんにちは。
パリ五輪、2024年7月31日に行われた「柔道男子90キロ級」で、初出場で銀メダルを獲得した村尾三四郎選手の名前に、注目が集まっています。
村尾選手が「三四郎」という名前であることから、
「きっと、村尾さんの両親が『息子に柔道の道に進んで欲しい』という願いを込めてつけた名前なんだろうなー」
と思った人は多かったでしょう。
ところが、村尾三四郎さんの両親は、村尾さんに
『柔道の道に進んで欲しい』
という願いを込めて「三四郎」と名付けたわけではなかったのです。
村尾三四郎選手の「三四郎」は、父親が
「生粋の日本人に育って欲しい」
という「ハーフあるある」の願いからつけた名前だったのでした。
その理由と、どうして村尾三四郎選手は
「令和の三四郎」
と呼ばれるようになったのかについても検証してみます。
村尾三四郎さんについて
村尾三四郎さんのプロフィール
出生地 アメリカ合衆国ニューヨーク州
出身地 2歳〜 神奈川県、5歳〜茨城県
生年月日 2000年8月28日
身長 180cm
体重 90kg
家族 父親、母親、姉、兄、
村尾三四郎の名前の由来
村尾の名前「三四郎」は、「姿三四郎」は念頭になく…名前に導かれ5歳で柔らの道へ
両親から「生粋の日本人に育つように」との願いを込めて、「三四郎」と名付けられました。
つまり、柔道家になって欲しいからつけた名前ではありませんでした.
でも、お父さんは、村尾三四郎選手に、小さい頃、
水泳
ラグビー
相撲
体操
などたくさんのスポーツをやらせていました。
でも、村尾さんは、その中で、柔道が一番好きで、
「最終的には柔道のために他の競技をやっていましたね。
柔軟性とか空中での感覚や、これは柔道の片足の感覚に似ているんじゃないかって事でやっていました。
今思えばいろいろやっておいてよかったですね。」
引用元: fnn.jp/alticles
と過去を振り返っています。
既に、小学校の卒業文に、将来の夢について
「オリンピックで優勝する」
引用元: fnn.jp/alticles
村尾三四郎選手は、父親に「姿三四郎」が由来かどうかは、詳しく聞いたことがないのだそうです。
そして、笑いながらこうコメントしています。
「お父さんは柔道をしていなかったので、由来はもしかしたら夏目漱石の小説『三四郎』の方かもしれないです」
引用元: mainichi.jp
村尾三四郎の名前の由来はなんで「ハーフあるある」なのか
上記の通り、村尾三四郎さんのお父さんは
「生粋の日本人に育つように」
という想いを込めて、村尾さんに、三四郎と名付けたそうです。
この
「生粋の日本人に育つように」
という表現に、違和感を感じた人は多かったでしょう。
両親が日本人であれば、誰がなんと言おうと、子供はもとから
「生粋の日本人」
です。
「生粋の日本人に育てる」必要がないのです。
でも、村尾三四郎さんの
母親はアメリカ人
父親は日本人
なので、村尾三四郎さんはハーフです。
プロフィールにあるように、村尾さんはアメリカに生まれましたが、2歳の時に日本に移住して、それからずっと日本で暮らしています。
日本に住んでいて、ハーフだと、努力して
「生粋の日本人」
に育てないといけない、という使命を持ってしまう人が多いです。
村尾さんのお父さんもそうです。
でも、その気持ち、すごくわかります。
ハーフだと、ちょっと外見が違うために、日本で生まれ育った人でも、ほとんど毎日のように
「日本語お上手ですねー」
と言われます。
私の子供たちも、日本人とドイツ人のハーフなので、それをマジで経験しています。
うちの子たちの場合は、ドイツ育ちで、ドイツの学校に通っていましたが、家庭では日本語でしか話していなかったので、母国語は日本語です。
だから、夏休みに日本に帰国する時、毎年いつものように
「日本語お上手ですねー」
と言われると、ある種の居心地の悪さを感じてしまいます。
普段は愛想笑いをして
「ありがとうございます」
と言ってその場から立ち去りますが、あまりしょっちゅう言われるので、時々無性に疲れた顔をしています。
ハーフだと、顔がちょっと日本人的じゃないから、日本国籍を持っているのに、なんとなく、日本人と扱われないのです。
そういう背景から
「生粋の日本人に育つように」
という願いが親からポロッと出てしまうのでしょう。
私からすると、ハーフも、生まれた時から立派な「生粋の日本人」だと思うのですが…
だから、「三四郎」という名前の由来は「ハーフあるある」です。
また、村尾三四郎さんは22歳の時に日本国籍を選びました。
2023年5月に
「日本で育ってきているので、日本人よりも日本人っぽいところを自分は持っているので、無いですね。
外国の方がよく言う『日本人は勤勉だ』みたいなことも、柔道に対するノートに毎日書いたりしているので、そういうイメージに当てはまると思います」
引用元: fnn.jp/alticles
私にしてみれば、
「アメリカ国籍で世界選手権に出場することは考えなかったのか」
という質問自体が、
「センスないなー」
と思います。
大体、村尾さんが
「アメリカ国籍で世界選手権に出場したい」
と思ってたら、アメリカ国籍選んでましたから。
でか、この少子化が進む日本で、ハーフに失礼な質問をして、やっぱり日本を去って欲しいのでしょうか?
「日本で育ってきているので、日本人よりも日本人っぽいところを自分は持っているので、無いですね。」
この表現!
もう、本当にかわいそうです。
本人は、2歳から日本で育って、日本人だと思ってるし、国籍も日本を選ん出るのに、なんで
「日本人よりも日本人っぽいところを自分は持っている」
とか、いちいち説明しないといけないのでしょうか?
それを、むっとせずに、丁寧に受け答えする村尾さん、えらいなーと思います。
そもそもどうしてすごい柔道家を「三四郎というの?」
姿三四郎
「姿三四郎」は富田常雄さんの1942年から1944年まで出版された、長編小説です。
「姿三四郎」は、実在の柔道家で講道館四天王の一人、西郷四郎がモデルと言われている、柔道小説です。
映画化
テレビドラマ化
マンガ化
アニメ化
されて大ヒットとなり、多くの人に親しまれました。
主人公の「姿三四郎」は小柄な、しかし天才的な柔道家。
この小説以来、小柄というハンディキャップがありながらも、大きな選手を相手に勝ち抜く選手に、
「姿三四郎」
と呼ぶようになったのだそうです。
村尾三四郎が「令和の三四郎」と呼ばれるようになった経緯・理由
2019年4月に東海大学へ進学したときに、新元号がちょうど4月1日に発表されたため、新元号にちなんで「令和の三四郎」と呼ばれるような活躍ができるようにと、自分で
「令和の三四郎」
という表現をしました。
「名前が三四郎なので、本物なのかなと思う」
引用元: sanspo.com
と「令和の三四郎」を襲名できるような世界一になれる柔道家になりたいと誓ったのでした。
でも、世界の舞台でも優勝して、
「令和の三四郎」
と呼ばれるにふさわしい柔道家になれるまでには、まだ数年かかりました。
でも、
2021年に「グランドスラム・カザン」、
2022年には「グランドスラム・パリ」優勝。
そして2022年と2023年には「アジア柔道選手権大会」で優勝。
2023年4月には
「柔道をやっていて、名前が三四郎。
今、五輪に向かっている。
自分が選手として、人間として見てもらう上で、すごく良い名前をもらったと思っています」
引用元: maicnichi.jp
と、オリンピックに向けて、「三四郎」という特別の名前に、
そして、今回のパリオリンピックでは、堂々銀メダルを獲得し、
名実ともに「令和の三四郎」となりました。
昭和の三四郎、平成の三四郎、女三四郎
昭和の三四郎
1964年の東京オリンピック、中量級金メダリストの岡野功さんは昭和の三四郎です。
「平成の三四郎」
古賀稔彦さんは、怪我に耐えながら、1992年のバルセロナ五輪で金メダルを獲得した「平成の三四郎」です。
169センチと小柄でありながら、常に一本を取りに行く攻めの柔道で、一本背負投が得意技でした。
野村忠宏さんも、162センチと小柄。
アトランタ(1996年)、シドニー(2000年)、アテネ(2004年)と、
アジア人初の五輪三連覇を果たしたため、同じく「平成の三四郎」と呼ばれました。
「女三四郎」
山口香さんは、1964年生まれの柔道家です。
1988年のソウルオリンピックでは、銅メダルに輝いています。
1984年の「世界柔道選手権」では、優勝しています。
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おわりに
村尾さんは、本名が「三四郎」なので、小柄ではありますが、柔道家として、世界に名を知らしめているので、
「令和の三四郎」
と呼ばれるに値すると思います。