ウィーン国立音大に合格するまで!ツテ・コネ・語学力ゼロからの実録
ウィーン音大に合格した〇十年前。
当時の私は、自分が合格できたのは
「奇跡」か「運」だと思っていました。
でも、今なら昔の自分に
言ってあげられます。
「ちゃんと合格できるだけの
『何か』を持っていたよ」って。
今日は、私が5つの「ナイ」を
乗り越えてウィーン音大に
合格した体験談をお届けします。
目次
コネなし・ツテなし! ウィーンの壁は高すぎた

Wien / travelbook.de
昭和の時代であっても、
都会に生まれ育っていたら
留学の壁は低かったかもしれません。
あるいは、実家が地主さんとか
超セレブな家庭だったら……。
でも、私の親はごく普通の地方公務員。
音楽界のコネもツテも
完全に「ゼロ」の状態からの
スタートでした。
ネットのない時代!手紙と口コミだけが頼り
今なら、ネットで調べれば、
かなりの情報を得ることができますし
世界中の音大の教授とオンラインで
繋がれる時代。
でも私がヨーロッパに渡った頃は、
やっと携帯電話が使われ始めた頃でした。
当然ネット検索なんてできません。
当時の携帯電話、基本的に電話しか
できなかったんですよねー。
というわけで「音楽留学したい」
と決意した私はまず、
「何をしたらいいんだろう」
というところから始まりました。
で、ドイツ大使館に問い合わせて、
まずドイツの全音大の住所を
教えてもらいました。
そして、いくつかの音大に
「入試要項を送ってください」
という文面の手紙をドイツ語で
書いて送りました。
返事が返ってきたのは、
べルリン芸大とケルン音大からだけでした。
しかも、そこには、
「あなたの勉強したい学科が
正確にわからないので、
入試要項は送れません。」
みたいなことが書かれていました。
それで、私はまたまた
「どうしたらいいんだろう」と、
振り出しに戻ってしまいました。
音楽雑誌の一行がまずは最初のツテになった
とにかく、
何のツテもコネもなかった私は、
クラッシック系の音楽雑誌は
定期的に買って隅々まで
読み込むのが日課でした。
ある日、グラーツ国立音大の
李教授の紹介記事に
こんな一文がありました。
「オーストリアへの音楽留学に関する
ご相談を受け付けています。
こちらへご連絡ください」
他に何のツテもなかった私は、
そこに電話してみました。
年配の女性が電話に出て、
「李教授が年に5回来日して
レッスンしているので
そのレッスンを受けて
その時に留学相談をすればいい」
と教えてもらい、とにかく
李教授のレッスンを受けてみることに。
そして、その李教授が
毎年ウィーンで主催している
夏期講習に参加するように
勧められました。
やはり他にツテがないし
他の大手エージェントを通す
ウィーンでの夏期講習は
もっと割高だったので、
ウィーン国立音楽大学の
教授のレッスンが受けられるなら、
安い方がいいと思い、そちらを受講しました。
ちなみに、私の両親は
音楽留学には反対だったので
私は、地元の国立大学の教育学部を
卒業してから
地元の音楽教室の講師として働き
留学資金を貯めている途中でした。
そのウィーンでの講習会に参加した時に、
私は、とにかく現地の情報を
なるべくたくさん集めたかったので
音楽大学や、コンセルヴァトワールを
回って、チラシや、パンフレットを
集めました。
その中のチラシの一つが
「Wiener Meisterkurse」でした。
そして、翌年には、
その「Wiener Meisterkurse」の主催者に
郵送で直接申し込みました。
自力でウィーン長期留学を果たすための第一歩。
もちろんそこに至るまでには
親との確執、祖父とのケンカなど
色々あったのですが
書ききれないので、今回は省略です。
ドイツ語力ゼロ!田舎から毎週新幹線で大宮へ!?
当時の田舎暮らしの最大の欠点の一つは
「英語以外の語学学校が無い」
ということでした。
親に反対されて
音楽大学に進めなかった私は、
いやいや進学した地元の国立大学の
教養学部でドイツ語を学び始めました。
私がその大学で唯一、心から
「学んだ」と思えた学科は
「ドイツ語」だったと思います。
教養学部で文法を一通り学んだ私は、
隣の人文学部のドイツ語会話のゼミに
潜り込み、ドイツ語を学び続けました。
そのがむしゃらな姿を見て、
哀れに思ったのか、ドイツに
10年くらい住んでいたという
ドイツ語の先生が、
オススメの教材を
教えてくれました。
オーディオカセットが、
何十個もついている分厚い
2冊の本でした。
今なら、ネットに教材が溢れていて、
当時の私からしたら、今の時代は
「パラダイス」です。
夏に「Wiener Meisterkurse」に
参加して、そのままウィーンに
入試準備のために滞在しようと
思っていた私は
春から、一週間に一回新幹線で大宮まで
「ベルリッツスクール」の
一対一の語学レッスンに
通っていました。
新幹線往復と、レッスン2回分で
3万円以上出していたので、
せっかく貯めたお金が
すぐに飛んで行きました。
初めての海外生活なので、
不安があり、その不安を和らげる
という意味では、
効果はあったのでしょうが
今考えると、3万円以上出す価値は
なかったですね。
今ならわかりますが、
一週間に一回の個人レッスンを
10週やっても、ペラペラ話せるように
なるわけじゃ無いですし。
明日から住む家がない! 見知らぬ地でのサバイバル
そんなこんなで、
「Wiener Meisterkurse」に
参加しながらの、アパート探しが
始まりました。
と言っても、
私くらいの語学力では
とてもじゃ無いけど
ウィーン訛りの不動産会社の
スタッフのところで
ひとりで賃貸契約するのは無理でした。
いろんなことが
わからなすぎました。
そんな時に助けてくれたのは、
前の夏に李教授主催の夏期講習で
同室になったお友達の知り合いでした。
その人は20年ぐらい
ウィーンに住んでいる日本人で
観光ツアーガイドをやっていました。
おかげで、まず半年間の賃貸契約を
交わすことができたので
ホッとしました。
ところが半年後、大家から
「出て行け」と言われ
またアパート探しの
地獄が始まりました。
なかなか見つからず
結局そのアパートを
引き払う日の前日になり
昨年の夏の講習会で知り合った
短期留学でウィーンにきていた
知り合いのアパートに
家賃と貸しピアノ代を
全額払うという条件で
しばらく居候させてもらえることに。
そんな肩身の狭い思いをしている時に、
手を差し伸べてくれたのが、
その夏「Wiener Meisterkurse」
で知り合った学生さん。
何とかまた、1人で住めるところが
見つかりホッとしていたのも束の間
そのアパートにも、
一時帰国していた住人が
戻ってくることになり
もう住めなくなります。
まだまだ私のアパート探しの
「オデュッセー(長い漂流)」
は続くのですが……。
当時の過酷なアパート探しも
今のベルリンの住宅難に比べたら
実はまだ楽だったかも?
と思えるほどです。
ついに見つけた「運命の師」 合格を引き寄せたのは行動力

Seilerstä te 26 番地 / meinbezirk.at
ウィーン国立音楽大学(MDW)の
かつての所在地は上の画像の
Seilerstätte 26 番地です。
ここは1909年から
音楽アカデミーの校舎として
使われてきました。
現在は
「Haus der Musik(音楽の家)」
という体験型ミュージアムに
生まれ変わっています。
何のツテもなくウィーンに
留学した私は
上記の住むところを紹介してくれた
知り合いのウィーン音大の学生さんから
今度は
「ウィーン音大の敷居なんて低いよ。
気軽に教授のゼミとかに行って、
『聴講させてください。』って言えば、
みんな喜んで聴講させてくれるよ。」
と言われます。
最初は信じ難かったですが、
やってみたら、その通りでした。
そうやって、何の登録もなしに、
Seilerstätte 26のいろんなゼミに
潜り込ませてもらって、ウィーン音大の
先生の下見をすることができました。
私が知り合うことができた
すごい先生はシェルマン教授という
和声の先生でした。
彼は音楽の塊みたいな人で
即興演奏が異次元。
彼のゼミの聴講を続けて
次の夏に入試を受けて
晴れてウィーン音大の学生になれました。
まとめ
結局、色々苦労しながら
道を切り開かないといけませんでしたが
だからこそ
ちょっとやそっとでは挫けない
柔軟性、創造性、アレンジ力を
養うことができたかなーとは思います。
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