こんにちは。
岡田紗佳さんは、高校三年生で芸能界入りして、モデルとして活躍していましたが、2017年にプロ雀士としてもデビューしました。
今では、「役満ボディー」プロ雀士として、さまざまなタイトルを総なめにしている「Mリーグ」のライジングスターです。
そんな岡田紗佳さんの、「non-no」の専属モデル時代に麻雀を始めたきっかけと、そこからプロ雀士になるまでの軌跡をまとめました。
岡田紗佳さんについて
引用元: x.com
岡田紗佳さんは、中国人のお母さんに中国語を学べと言われ、6年間も上海の祖母のところで暮らさなければなりませんでした。
その生活は勉強漬けの苦痛な日々でしかなかったそうですが、奇しくも、祖母が雀荘をやっていたため、幼少期に、本場中国で麻雀の手ほどきを受けていたのでした。
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厳しい母親はなぜか「雀士」になることに反対しなかった
引用元: x.com / 左: 岡田紗佳さんの母親 52歳の誕生日(2020年)
岡田紗佳さんのお母さんはとても厳しい方だったそうです。
まあ、中国語習得のためなら、幼い娘を単身で6年間も中国に送り込んでしまうのですから、そうだったんだろうなーと想像つきます。
岡田紗佳さんの母親は、岡田紗佳さんにバリバリの「キャリアウーマン」になって欲しかったのだそうです。
だからこそ、中国語と日本語のバイリンガルとして、両国語がパーフェクトにできることを目指したのですね!
同じくバイリンガルの息子と娘を持つ私から一言、言わせてもらえば、
娘にすっごくかわいそうなことをしたね
と思います。
と言うのも、そもそも、岡田紗佳さんの母親は、岡田紗佳さんが生まれた時から中国語で話しかけて6歳までにバイリンガルに育てる機会を無駄にしていました。
最初の6年間、母親が娘と中ゴグ語で会話するだけで日本に住んでいてもほぼ完璧に中国語はマスターできます。
入れようと思えば、日本に住んでいる中国人の子供たちが中国語を勉強する補習授業校に週一回通わせることもできたはずです。
でも、母親が全く中国語を疎かにしていたから、岡田紗佳さんは6歳まで全く中国語ができなかったのです。
なのに、突然思い立って、中国語のできない子供を中国語しか話せない祖母のところに送り込むとは、勝手すぎます。
とにかく、
中国語と日本語のバイリンガルのキャリアウーマン
という自分の建てた筋道を突き進んで欲しかった母親は、岡田紗佳さんがモデルとしてデビューすることも、反対していたそうです。
でも大きくなった岡田紗佳さんは芸能界に入りたいと言う自分の意志を貫きました。
次は、「プロ雀士」になりたくなった岡田紗佳さん。
「麻雀」というと、日本では
たばこの煙がもくもくした雀荘で、おっさんたちがお酒を飲みながら
みたいなイネガティブなイメージが強いので、母親にはまた反対されると思っていたのです。
ところが、お母さんは、おもしろいことに、全然反対しなかったそうです。
なんと
両親はどちらも麻雀が大好きなので、むしろ「いいじゃん!」みたいな感じでした
引用元: number.bunshun.jp
「麻雀好き家族!」なんですね!
母親の実家が上海で雀荘を経営しているので、麻雀に対してのイメージはお母さんの中ではすごくいいのかもしれませんね。
岡田紗佳さんが麻雀を始めたきっかけはモデル仲間とのスマホゲーム
引用元: x.com
中学生の頃から芸能界に憧れていた岡田紗佳さんは、頑張って猛勉強して、青山学院高等部へ進学することができました。
娘を「キャリアウーマン」にしたい母親は、岡田紗佳さんの芸能界入りに猛反対なので、表立った行動はできません。
そこで芸能界に入りたい一心で、街でスカウトされるために、渋谷近辺の高校を受験したのだそうです。
そして
「スカウトされたいな」
と思ってスカウトされやすい場所などをチェックしてその辺に行ったりしているうちに、本当にスカウトされたのでした。
確かに、170cmの長身の美人なら、絶対に目立つので、モデルの卵を探しているスカウトマンなら、すぐに目をつけるだろうな、と思います。
とにかく母親の反対を押し切って「non-no」の専属モデルを始めた岡田紗佳さん。
最初は、競争が激しくて、いじめがあるような、怖い世界を想像していたそうなのですが、モデル仲間は、みんな気さくで優しかったそうです。
自分の居場所が見つかった感じですね!
そして、そんな居心地の良い居場所で、ある日モデル仲間の1人がスマホの「麻雀アプリ」をやっていたので、
「私もやってみよう!」
と思って始めたのが、麻雀との運命の再会です。
なぜ再会かというと、岡田紗佳さんの麻雀との出会いは遡ることほぼ10年、幼少期の上海の祖母の経営する雀荘ででした。
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その後、そのモデル仲間はスマホの麻雀ゲームをすぐにやめちゃったのですが、岡田紗佳さんは麻雀にハマっていきました。
そして、仕事仲間のメイクさんやモデルさんたちと、手積みで麻雀をするようになったのでした。
すごいですよね、麻雀にどんどん惹かれていったのですね!
確かに、一度始めると、楽しくて、やめたくなくなりますよね、麻雀って。
プロ雀士にはどうやってなったの?
引用元: instagram.com
とにかく、モデル時代に友人を集めては、麻雀を楽しむようになった岡田紗佳さんでしたが、ある日、「日本プロ麻雀連盟」というところから、
「女性を対象にした麻雀の勉強会」
に誘われたのでした。
その「日本プロ麻雀連盟」というところが、岡田紗佳さんが現在所属している連盟です。
そこからが、岡田紗佳さんのすごいところで、プロに混ざって勉強していくうちに
もっと強い相手と打ちたい
と思うようになっちゃったのでした。
まあ、もともと才能があって、自分が強いことに気がついちゃったのでしょう。
そこで、プロテストを受けて、2017年に見事「プロ麻雀士」になりました。
麻雀のプロ試験には、
麻雀の実技試験
筆記試験
面接試験
という3つの要素がちゃんと組み込まれていて、受かってからも、半年ほど研修期間があるのです。
その研修で、麻雀対局の勉強だけではなくて、なんと
実況や解説の練習
もするのだそうです。
ただ麻雀のプレーが強いだけでは、プロ雀士はダメなのだそうです!
だから、プロ雀士には、個性的な、人が多いのだとか。
岡田紗佳さんもインタビューで
打ち方に個性があったり、しゃべりにインパクトがあったりと、プロの皆さんはキャラが立っている方ばかり。
そういう個性も含めて、ファンの方々に応援していただけるんだと思います。その点、芸能界と通じるところがあるのかもしれません。
引用元: telling.asahi.com
と語っています。
コンプレックスだった胸 – 「役満ボディー」 で吹っ切れた
引用元: abema.tv
岡田紗佳さんにとって
「胸が大きい」
ということは、最初のうちはコンプレックスでしかなかったそうです。
男性の視線が、なぜか自分の胸にいっているような気がして、それが嫌でなんとなく胸を隠すように、猫背になり、ついでに身長が高すぎることも嫌で、もっと猫背になったとか。
岡田紗佳さんが自身のnoteで綴っていますが
猫背を矯正するには何年も時間がかかり、今でも背中は丸まりがちだ。
note.com
なんと、モデルをやっていても、身長が高いことはやっとメリットになりましたが、胸が大きいことは、いまだにデメリットだったのだそうです。
モデルにとって大事なのは、
服やアイテムを綺麗に見せる
ということなので、胸が大きいと、
ニットの形が崩れる
とか
胸元の谷間が大きすぎる
などの問題が起きるのだそうです。
でも、いつしか
「役満ボディー」雀士
と呼ばれるようになってからは、人生が楽になったのだそうです。
おわりに
だから、今では開き直って、グラビアのお仕事もたくさんこなしている岡田紗佳さんです。
「Mリーグ」で一番可愛い雀士の1位にランクインした岡田紗佳さん。
これからのご活躍が楽しみです!